福澤 朗がサインを貰った北見 けんいちの代表作は?『あいつ今何してる?』

芸能・バラエティ

こんにちは、shunです。

2021年02月17日、バラエティ番組『あいつ今何してる?』のゲストとして、福澤 朗 さんが出演します。

番組内で、福澤さんが小さい頃にある超有名漫画家のサインを貰ったとしています。
予告時点では漫画家さんの名前が伏せられていました。
…のですが、結論から言うと漫画家の人は北見 けんいち さんです。

今回は、番組『あいつ今何してる?』内で紹介されていた北見 けんいち さんの代表作や漫画家人生をまとめていきます

予告では名前を伏せていたが、実はバレバレ…笑

予告では漫画家の名前や顔は伏せられていた

北見けんいち さんの紹介の前に少し、冒頭にあった予告に関する話をします。

02月17日分の放送について、番組の次回予告や公式ツイッターでは、以下のような告知を行なっていました。

福澤 朗さんが小さい頃に貰ったサインが超有名漫画家のサインだった!?

公式ツイート:https://twitter.com/aitsuima/status/1361661348883570692

上はTwitterでの公式ツイートで、また、次回予告の映像でも「ある人物からもらったサイン」として名前や顔は伏せられていました。

過去を遡るとお宝鑑定団に鑑定されていた!!

ただ、これ少し知っている人から見ればすぐわかってしまうのです。
漫画家の人の肉声はそのままだったので、ファンの人はわかります。

それ以上に、このサイン、昔にお宝鑑定団に鑑定してもらっているんです!!
その時の写真がこちら ↓↓

お宝鑑定団 公式ページ:https://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/20120703/01.html

左が『あいつ今何してる?』で取り上げられていた北見けんいち さんのサインですね。
右は一緒に鑑定された赤塚 不二夫さんのサインです。

これは2012年07月03日に放送されたものらしく、福澤さんは本人評価額を50万円としましたが、鑑定結果は合わせて4万円(北見さんが1万円、赤塚さんが3万円) でした…(^^;

赤塚さんのサインは『赤塚不二夫展』というもので出回っているらしく、案外希少性が低いのだとか。
北見さんのサインについても、青年漫画というジャンルに入るので、サインは少年漫画ほどの価値にならないそうです。

北見けんいち さんのプロフィール、代表作、経歴

画像:https://www.jprime.jp/articles/print/3841?display=b

プロフィール

本名  :北見 健一(きたみ けんいち)
生年月日:1940年12月11日 (80歳)
出身  :東京(両親の転勤の関係で生まれは中国だが、国籍は日本)
学歴  :多摩美術大学付属芸術学園 写真科
趣味  :野球(ジャイアンツ ファン)、アウトドア
     ただし、釣りはそんなに詳しくないと自称している。

代表作

・釣りバカ日誌

誰もが知る通称「釣りバカ」、アニメ化や実写映画化もされているので原作を読んだことがなくとも、名前ぐらいは知っているのではないでしょうか?
僕自身も釣りバカ日誌の映画が放映されていたのをうっすら覚えています。

ジャンルはサラリーマン漫画、釣り漫画で主人公の浜ちゃんと相方とも言えるスーさんを中心として物語が展開されます。

なお、北見さんが担当しているのは作画で、原作・原案は やまさき十三 さんという別の方が担当しています。

2020年時点で累計発行部数が2600万部を達成しており、全15巻という少ない巻数でこの数はか、発行部数としてはかなり多いです。

1982年度 第28回 小学館漫画賞を受賞しています。

出典:コミックス 『釣りバカ日誌』

・焼けあとの元気くん

こちらは上の釣りバカほど有名ではありませんが、北見さんの代表作品として度々紹介されます。

ジャンルとしては家庭漫画とされていますが、タイトルの「焼けあと」とあるように戦後に関するものにフォーカスしています。

パート2, 3…と続いていき、終戦直後より後の様々な時代を舞台として話が展開されます。

この作品により1989年度 第18回 日本漫画家協会賞優秀賞を受賞しています。

出典:コミックス 『焼けあとの元気くん』

経歴:様々な困難を乗り越え、漫画家へ…

父親の仕事の関係で中国で生まれる

北見さんのお父さんは大日本印刷というところに勤めていて、仕事の関係で中国の満州支社に転勤することになりました。
しかし、転勤が決まったのは結婚したばかりだったので、奥さんと一緒に中国に渡る決意をしました。

そして北見 けんいち さんは中国の満州(今では長春というところ)で生まれることになります。
ちなみに、後に関係を持つ赤塚不二夫さんも同じ満州生まれです。

子供の頃から漫画が大好き!しかし、漫画家を目指すには反対が多かったので…

北見さんは子供の頃から漫画が大好きでした。授業の最中もノートに漫画を描いてしまうほど…

しかし、漫画家で生きていくのは今以上にハードルが高く、周囲の大反対もあって最初は漫画家を目指すことはできませんでした。

なので、漫画の次に好きだった写真に注目し、写真屋を目指すことにしました。
そのため、高校卒業後は多摩芸術学園 写真科に入りました。

写真屋を経営しながら、漫画を描く日々

多摩芸術学園の卒業後は写真者を開業しました。
一方で漫画への熱意が冷めたわけでもないので、仕事の傍ら、ひたすら漫画も描いていました。

しかし、幸か不幸か、写真屋が繁盛しすぎてしまったのです…!!
(写真屋が周囲になかったので。)

仕事が大忙しで漫画が描けなくなることを恐れた北見さんは、高校の写真部の人たちに写真の現像のやり方などを教えて、自分は漫画を描くのに力を注いでいました 笑

赤塚 不二夫 さんとの出会い

ある日、出版社に作品を持ち込んだ際に、「赤塚 不二夫 先制のアシスタントを募集している」という話を貰い受けました。当時、

当時、赤塚 不二夫 さんは人気の真っ只中だったので、これをチャンスとと捉えた北見さんは進んでアシスタントになります。

アシスタント生活は厳しく、とにかく忙しかったので1日3時間しか眠れない日々が続きました…;当時、北見さんは20代でしたが、それでも体力的にしんどかったそうです。

そこからずっとアシスタントを継続することになります。

40歳にして一本立ち!

長らくアシスタントとして仕事をしながら、北見さんが一本立ちすることになったのは、なんと40歳の時でした。
すでに結婚しており、5歳ほどのお子さんがいらっしゃる時期です。

その時の作品は、もちろん『釣りバカ日誌』。
作品はあっという間に人気になり、アニメ化や実写映画化されるほどになりました。

当時について北見さんは、周りの支えや、やまさき十三さんの原案あってこそだったと語っています。

まとめ

今回は、釣りバカ日誌でおなじみの漫画家 北見 けんいち さんについてまとめました。

非常に長いアシスタント経験を経て、満を持して『釣りバカ日誌』での漫画家デビューは大成功を収めました。

エピソードなどを読んでいくと、今以上に漫画に対する偏見が多く、苦労をされたようです。
そう考えると今は自由度が増えて、Youtuberなども進出するほどなので、行きやすい時代になったと改めて実感しますね!

以上

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